骨折療養中のびょうです。

昨日、髪を切った、というかかなり髪が多い方なので、

髪を減らしてもらってすっきりしました。

最後に毛先が軽くなったので軽くアイロンで巻いてもらったのですが、

それを見て、美容師さんの息子さんが、

「カワイクナッタネ」とか言うんですよ。

「え?なんて言った?聞こえないよ」とベタな返しで、

2回くらい言わせました。

いやあ、なかなか嬉しいものです。


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今日、Twitterで懐かしい歌を紹介している方がいて、

ひさしぶりにこの歌を聞きました。


樋口了一/手紙 親愛なる子供たちへ



最近、イライラして母に強く当たって、

母が泣いちゃうことがあったんです。

それくらいで泣かんでいいやん、と思わず

偉ぶってしまったのですが、

ちょっとは反省していました。

それが、この歌を聞いて、

ああ、悪いことしたなあと思いました。

さっき、唐突に、母に謝りました。


私、結構、謝るんです。

職場や友人関係など何でも、

なにかこう、ぎこちなくなった時など、

誰かが謝れば収まる、というシーンで必ず、

いの一番に私が謝ります。

それは、本当に悪いと思った時ももちろんありますが、

とりあえず謝っとけ!と中身の無い謝罪もあります。

それで、丸くまとまる時もあれば、

なんか適当に謝ってるみたいでムカつく、

と思われることもあります。

それでも、私は必ず自分から折れるようにしています。

あまり、プライドって持ってない気がします。

一生懸命生きてきたうちに、どこかに捨ててきました。

もちろん仕事や生き方にプライドは持っていますが、

その時その時の気持ちには特にこだわりはなく、

できたら、関西の人が言うように、

「じゅんさいやなあ」

の蓴菜のように、ヌルヌルと摩擦を避けて、

その場しのぎをして行きたいのです。


人間って感情の生き物です。

私はそれが良かれと思って生きてきました。

熱い人が良い、冷静な人はなんか冷たくて嫌だ、と。

でも、年をとるに従い、

感情は大切だし、自分が突き動かされるのも歓迎する、

でも、

感情を人に見せるのは、

あまり行儀の良いことではないな、

と思うようになったのです。

もちろん、ここのようなブログには、

日頃の感情を書き記すものです。

でも、実際の人と人の摩擦のある日常では、

あまり熱くなるのはよろしくない。


感情と感情がぶつかり合い、

自尊心と自尊心がぶつかって、

折れるに折れないようになると、

もう、

最後は松居一代ですよ。


そして、これも年を取って悟ったのですが、

最近は松居一代に教えてもらったような気もするのですけど、

感情がぶつかり合い、

ブサイクなことになった時には、

端から見ると、どっちが正しいとかあまり関係なく、

どっちもどっちで、

そのやり方や見た目の悪さが評価される。

例え自分が100%正しいとしても、

そうしてみっともない争いをしていると、

相手と同じところに落ちてしまうと思うのです。


まあ、そんないろんな思いがあり、

私はいつも、自分から素直にごめんなさいを言います。

これが欠陥ばかりの私の、

数少ない長所だと思います。



で、まあ、母の病気を知っていながら、

なんでできないの!

なんて冷たいことを言ったことを詫た訳ですが、

人は感情と共に生きている訳なので、

いつも道徳の教科書のような態度はできません。

なので、その都度、反省したら、

それを詫て、人間関係の歪みを少しでも戻していけたら、

と思うのでした。

ええ、

「ごめんで済んだら警察はいらない」

なんですけど、警察のお世話になるようなことになったら

謝って済ませようとも思いません。


今、なんとかいろいろ使って移動はできても、

松葉杖で両手が塞がり、買い物ひとつできない私と、

外にひとりで出ることは難しいけれど、

両手が使える母とは、

顔を合わせるのがちょっと嫌な時だって

運命共同体、

力を合わせて生きていくしかないのです。

夫婦や家族って、みんなこんな感じなのでしょうかね。



今日はこうしてブログを書いている時も、

寸暇を惜しんで(おおげさやろ)足を曲げる練習をしています。

膝を曲げてもなんともない、大丈夫なんですよ?

と言われても、どうしても怖かったり、張りがあったりで、

膝が90度以上曲がりません。

また明日、リハビリで絶叫しないといけません。


頑張るしかないですね。

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