介護施設で働いているびょうです。

せっかくの一番良い季節に母をどこかに連れていきたくて

連休取っていたのに母が行かなくて、

凹んでいました。

これは、ひとつは、新しい職場の仕事が結構きつくて

その凹みに被せて被害者ヅラをしていただけ。

そして、行きたかったのは私。

当の本人は行きたくないのだから、

それは完璧に私のエゴです。


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確かに少し前までは母が私と出かけるのをとても

楽しみにしてくれていたので、そういう流れにしましたが、

少しの間に何らかのことがあって

母の気持ちが変わってしまったので、

どちらに非があるという訳ではないのです。


それを子供のように母をうるさく責めたのは

読んで字のごとく、

私が母に対して子供であることを利用したある種のマウントです。

ここの境界線は難しいんですよね。

母は間違いなく今も母だけど

責任能力やなんかが確実に下がってしまい

母の姿をしているけれど母ではない、

保護者だったはずなのに実は自分が保護者になっていた、

ということで、

ここが親の介護の難しさでもあるのです。


でも、一番大切なのは

アドラー心理学で言うところの

「課題の分離」です。

少し前に私はこれの大切さを痛感して、

メンタルがとても安定したのです。

逆に姉は未だに、

天気や気温に合わせて

世界や地球の心配までしています。

「課題の分離」とは

マンガ
【アドラー心理学】マンガで分かる心療内科・精神科in池袋 第6回「課題は分離しろ!」

https://yuk2.net/man/133.html 

このサイトは知り合いがよく説明に利用していますが、

私には今ひとつわからない(おい)


例えば、最近、車の事故が沢山報道されていて、

それに憤っている人が沢山おられますが、

それで日本の車社会や日本の将来を憂いたり立腹したりする人もいるけれど

それは私の問題なのかと言えば

私も周りではそんな事故はないし

自分も日頃から安全運転を心がけているし

よくよく考えると、それは私の問題ではないので

それで私は悩む必要はない、ってことなんです。


そういう観点から

母にきれいな風景を見せたいと躍起になっているけれど

母が見たいと言った訳ではないので

躍起になっている私がアホ、ということです。

行きたいのは私。

母は家にいて幸せ。

だったら私はヤキモキせずに一人で行ったらよろしいがな、

ということです。


知り合いもアドラー心理学を学んで、

子供の起きる時間や子供の宿題をやるやらないは

子供の問題であり親の問題ではないので

それを説いた上で子供に任せたら

子供に自主性が生まれて自分でやるようになったそうです。

そう、子供の一挙手一投足にやきもきして

病んだりする必要はないのです。


そうしてひとつひとつ整理していくと、

私の問題は、

今後の仕事をどうしていくか、ということと

今の生活環境を整えていくということ。


課題の分離をもっと大きく見ると、

母は当然ですが私よりも高齢なので

私より先に死んでしまいます。

なので、まずは私の人生、私の進む道に対して

もっと向き合って安定させるべきなのです。

しっかりと自分で立ってない人間に

他者のお手伝いなどできる訳がないのです。


そして、その己に向かい合うことが一番難しいので、

それをする前に、人の心配をするふりをして

イライラしてるのが今の私。


実際、68歳のあれだけパワフルだった遠藤ミチロウさんが

亡くなり、90歳を越したお母様を残して逝ってしまいました。

90代より先に逝くとか

普通思わないじゃないですか?

私だって、そうなるかもしれません。

だって、私は全方向に死ぬリスクが高い夜勤専従なのですから。


母を病院に連れていけるのは私だけですが

それ以外は自分の人生についてもっと考えるべきでした。


そう考えられたこの連休は

とても有意義であったと言えます。


 

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