暖かかったり寒くなったり、一体今はいつなんだk?
という気候にちょっとうんざりしている今日此の頃。
この仕事に就いていると、人の命の在り方について
考え込んでしまうことが少なくありません。
特に、今の施設は以前の施設に比べて亡くなる方が多いです。
先日のバイトでも、何の前触れもなく亡くなった方がいて、
命の順番は私達には計り知れないと感じたばかり。
これは超高齢社会だからかというと、
そうでもなく、
人は昔から、命はこうあるべき、ということを考えていました。
みなさん、学校で徒然草を学んだと思います。
最近ちょっと読み返したりしているのですが、
当時は受験に出るかどうかばかりが取り沙汰されて
中身なんて気にしてなかったんです。
それが、今読むといろいろ考えてしまいます。
年を取ったなあ。
だいたい1330年頃に成立したと言われていますが諸説あるのかな。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、
いかに物の哀れもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、
夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、
ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
私も古典苦手だったのでゆっくり噛みしめるように読み勧めますが、
こちらのサイトより引用させていただきます。
露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。
だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。
かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の蟬のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。
もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。
その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。
更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。
なかなか手厳しいですね。
もちろん、ここで言う四十そこそこ、というのは
寿命が大幅に伸びた今の40代とは意味が違うのですけど。
確かに、今は人生100年時代になってきたので、
昔の人のように命に儚さを感じる場面はぐっと減りました。
死があるからこそ、生が輝く。
今、この世の中で、いったいどれほどの輝きを
生きるということがもたらしてくれるでしょう。
もちろん、こんな昔まで遡らなくても、
戦争で明日の命もしれなかった人たちには
生きている、ということがどれほどの喜びだったか。
そして、医療の発達や社会の安定で
恐ろしいほど長生きできる今の時代。
よく「老害」なんて言う人達も居ますけど、
こうして介護施設で働いて沢山の高齢者を見ていると、
わかるんです。
「簡単には死ねない」のです。
食べられなくなったって、身体に穴をうがち、
栄養を入れることさえできてしまう。
今の制度では自分で死を選ぶことは許されない。
もちろん、長生きして子供、孫、ひ孫に玄孫と増えていき、
幸せそうに微笑んでる方も見ます。
でも、そうで無い方も多く、闇は深いものです。
私はこの先ずっと独りですから、
あとは自分の身体と相談しながら、
日銭を稼いで、天珠全うまでほそぼそと永らえるのみ。
老人ホームで早く死にたいという人は少なくはなく、
命は神様の領域だから人間風情にはどうもできませんよ、
とお答えしたりしてますが、
果たしてこれが幸せなのかは、
毎日考え込んでしまうのでした。
壮絶な人生を送って若くして消えたシドヴィシャスなんかが
未だにロックアイコンになっているのは
そのあたりを源にしてるのかもしれませんねえ。
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コメント
コメント一覧 (2)
新聞社からの取材申し込みなんて、さすがびょうさん。
今朝の文は痛快でした。よく書いてくださいました。
私自身は実親の介護はしておりませんので、ほんとのところの苦労はわかっていないのかもしれませんが。
介護士をしているということを話すと、古い友人達から「そんな辛い仕事に飛び込むなんて、よくできたね。えらいね」とか「そんなことで体をこわしたらどうするの」と、いたわりを装った褒め殺しの言葉が並びます。
「今までのCP事務とかより、性にあって体を使うし楽しいんだけど」といくら説明しても「無理しないで」と哀れまれるだけなので、話すのをやめました。
要は、いろんな意味で介護って、「マイナー」なものと一般にはおもわれているんですね。
確かにメディアでの「おひとり様介護」って「悲惨」という項目にいれられていますね。一応目を通すのですが、現実自分のみている、おひとり様介護の方の現実とは程遠いと思うことも多いです。
私のお邪魔している認知の方、軽いうちはおひとりで、HPなどの手を借りて乗り切ってらっしゃるし、おひとりさまのお子さんと同居の方も、お子さんたちは自分の生活をこわさないように「Hpさんのご協力お願いします」と割り切ってらっしゃいます。その方が健全です。
これからの時代、withコロナ、以上に、with認知症ですよね。
高齢になれば、誰でもいつでもかかる可能性大。
本人も家族も、なるべく要領よく、楽しく乗り切るノウハウを身につけるようになれればと思います。
今日も猛暑ですが、お気をつけてお過ごしください。
介護=悲壮(キツくて安くて汚くて惨め)に決まってると言う図式、ありますね。
あと急に遠い目で「尊い仕事です」とか。じゃあおめーがやれ!っていつも思います(笑)
何らかの介護に携わった経験がない人は将来介護施設に入る順番は後回しで良いと思います、ほんと。
認知症もみんな怖がるけど私達の年代だって脳の萎縮で物忘れすごいですし、恐れてばかり、認知症保険とかに踊らされたりして。まずは実際に触れることが大切なんですよ、介護職でお金貰って勉強できるのにって思います。
毎日暑いですね、お盆過ぎたのに。どうぞご自愛くださいね。