介護施設で働いているびょうです。
引き続き、まだ完全に浮上できない日々です。
ぼーっと映画やドラマを眺めています。
これは私なりの休息と思って続けています。
自分自身が疲れていることもあるけれど
最近のネット、とりわけSNSに疲れてしまったのもあります。
ひとつは話題になっている誹謗中傷。
みなさんも最近嫌というほど目にする、
芸能人の自死。
私、Netflixはないと困るほど愛用してるのですが、
渦中の「テラスハウス」は見たことがなくて、
それはたまたま、ではなく、
ああいったリアリティ・ショー自体が苦手ということで。
苦手の理由が、
誰かが何かをしているところを撮って、
それをしたり顔で誰かが批判していたり、
大体、それを誰かが見ている、というのも
なんだか覗き行為みたいで胸糞悪い。
見ている人だってその評価が良いことばかりだと
刺激がなくて面白くないでしょ?
結局誰かが叩かれることを期待してみているのですよ。
そういう視点は、
子供の頃の「大草原の小さな家」で
どうしてもサーカスを見に行きたいローラに
父親が、
「サーカスは人が落ちたりする前提で見ているから
良くない。
そもそも安全だとワクワクしない。
見ている人は演じ手の不幸を期待している」
的なことを言って止めるんです。
当時は子供だったからちょっと「えー」って思ったけれど
その後、何十年もその記憶が残ってます。
その番組もだけど、
ロンブーの冠が付いたような番組も同様で、
誰かを貶めて成り立っているようなのは
とにかく嫌いなので見ないのです。
それに、恋愛を不自然に作り演出するのも苦手です。
また、これはテレビ番組全体に感じてることだけど
基本的に決められた時間内に予算内で物事を収めようとする
テレビの収録方法にあって、
どこかしら、やらせみたいなことはあるんですよ。
まあ私はそんな感じで見てなかったのだけど、
それを真に受けた人たちの誹謗中傷によって
ひとつの命が失われてしまったことが
とても不快です。
実際、自分の周りで自死した人はほとんどみな、
最後に何かしらきっかけがあって、
それ以外に多角的な原因があったことがわかっていて
彼女と振られた後に自死した人も
実際は沢山の借金を抱えていたり、精神を病んでいたりで
それが絡み合ったときに人は自死を決意すると思っているので
誹謗中傷だけが原因でもないんでしょうけど。
また、SNSを通じて、
今までは触れることができなかった大好きな芸能人に
直接「好きです」「がんばって」と伝えられる
便利なツールですが、
それが逆方向に
直接
ひどい言葉を投げかけるツールになる。
なぜそういう事をする人がいるのかは、
私には永遠の謎です。
そして、その媒介となっている
SNS。
これはもう、社会的なインフラとなっていて、
仕事でFacebook登録を命じられている友達もいるし、
自分の場合も同窓会の連絡ツールとして使っていて、
昔は自分の仕事の宣伝目的もあったので
登録しています。
Twitterも介護についての問題提起や
情報収集を目的に使っています。
一番便利なのは愚痴の捨場なんですけど、
たまに変なのが涌いて、
人の発言に難癖つけるのもいて、
疲弊してしまうこともあります。
見たい情報がどんどん入ってくるけれど、
見たくない情報も拡散されて入ってきます。
最近では、
施設での死生観を過剰な発信している施設があって
その不快感が嫌でたまらないのだけど、
それ以上に怖いと思うのが、
それを絶賛している人たちのコメントで、
死生観を考えることは悪くないし、
先進的な介護があってもいいと思うのだけど、
その言葉選びや発信方法が
とにかく嫌に思えてしまうのです。
写真を撮ることには否定は無いし、
実際友達で「実は最後のお顔の写真持ってるんだ」と
そっと打ち明けてくれる人もいる。
だけど、その最後のお別れに
「爆笑」というワードがどうなのか、
そして、それが家族ならだけど、
「施設」がそれを「SNS」に「発信」するその不自然さ。
ドンマイってDon't mindなんだけど
気にするなって、言えますかね…
そもそもこの動画が波紋を呼んで、
以降、介護クラスタでの発信がこれで埋まってしまったわけなんだけど
結果的に、施設を挙げて看護職も交えて
時間を少しかけながら嚥下機能を上げた結果の動画を
何の説明もなく上げて、
結果的に炎上商法になっているみたいです。
なんかどれも、今までならどこかでそっと行われたことなんでしょうけど
それをSNSで発信し
前後を知らない人が「見せられる」ことで
なんとも心のザワザワが止まらないのですよ。
仲の良い友だちは、経済的にもちょっとうまく行かなくて
悩んでいた時期があったけれど
その後、
「SNSを全部辞めてみた。
人と比べなかったら
人生結構楽しいよ」
と連絡がありました。
新しい道を見つけたみたいで、
そこから割と楽に生きられてるみたいです。
情報収集のツールでもあるから
全部を辞めることができないので、
本当にSNSは諸刃の剣だと感じます。
心が疲れているからSNSが刺さるのか、
SNSがあるから心が疲れるのか、
これは永遠の謎です。
ただ、疲れた時は離れること。
これは誰でも忘れてはいけないことですね。
誹謗中傷については、
一番仲のいい友達が小学校の教師をしているのですが、
彼女がぼそっと、
「今の時代に生まれたら
私は生きていけなかったと思う。
大人が思っている以上に
子供のSNSの世界は過酷で
LINEの既読スルーは許されず
参加してないと何を言われるかわからないし
片時も離さずスマホを持っていないと
知らず知らずに誹謗中傷の的になる」
と言っていたのが忘れられません。
これは法律をどうこうするよりも
心の問題なんですけどね。
人間は沢山の感動も与えてくれるけれど
多くの闇も抱えている、
そんな気がします。
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引き続き、まだ完全に浮上できない日々です。
ぼーっと映画やドラマを眺めています。
これは私なりの休息と思って続けています。
自分自身が疲れていることもあるけれど
最近のネット、とりわけSNSに疲れてしまったのもあります。
ひとつは話題になっている誹謗中傷。
みなさんも最近嫌というほど目にする、
芸能人の自死。
私、Netflixはないと困るほど愛用してるのですが、
渦中の「テラスハウス」は見たことがなくて、
それはたまたま、ではなく、
ああいったリアリティ・ショー自体が苦手ということで。
苦手の理由が、
誰かが何かをしているところを撮って、
それをしたり顔で誰かが批判していたり、
大体、それを誰かが見ている、というのも
なんだか覗き行為みたいで胸糞悪い。
見ている人だってその評価が良いことばかりだと
刺激がなくて面白くないでしょ?
結局誰かが叩かれることを期待してみているのですよ。
そういう視点は、
子供の頃の「大草原の小さな家」で
どうしてもサーカスを見に行きたいローラに
父親が、
「サーカスは人が落ちたりする前提で見ているから
良くない。
そもそも安全だとワクワクしない。
見ている人は演じ手の不幸を期待している」
的なことを言って止めるんです。
当時は子供だったからちょっと「えー」って思ったけれど
その後、何十年もその記憶が残ってます。
その番組もだけど、
ロンブーの冠が付いたような番組も同様で、
誰かを貶めて成り立っているようなのは
とにかく嫌いなので見ないのです。
それに、恋愛を不自然に作り演出するのも苦手です。
また、これはテレビ番組全体に感じてることだけど
基本的に決められた時間内に予算内で物事を収めようとする
テレビの収録方法にあって、
どこかしら、やらせみたいなことはあるんですよ。
まあ私はそんな感じで見てなかったのだけど、
それを真に受けた人たちの誹謗中傷によって
ひとつの命が失われてしまったことが
とても不快です。
実際、自分の周りで自死した人はほとんどみな、
最後に何かしらきっかけがあって、
それ以外に多角的な原因があったことがわかっていて
彼女と振られた後に自死した人も
実際は沢山の借金を抱えていたり、精神を病んでいたりで
それが絡み合ったときに人は自死を決意すると思っているので
誹謗中傷だけが原因でもないんでしょうけど。
また、SNSを通じて、
今までは触れることができなかった大好きな芸能人に
直接「好きです」「がんばって」と伝えられる
便利なツールですが、
それが逆方向に
直接
ひどい言葉を投げかけるツールになる。
なぜそういう事をする人がいるのかは、
私には永遠の謎です。
そして、その媒介となっている
SNS。
これはもう、社会的なインフラとなっていて、
仕事でFacebook登録を命じられている友達もいるし、
自分の場合も同窓会の連絡ツールとして使っていて、
昔は自分の仕事の宣伝目的もあったので
登録しています。
Twitterも介護についての問題提起や
情報収集を目的に使っています。
一番便利なのは愚痴の捨場なんですけど、
たまに変なのが涌いて、
人の発言に難癖つけるのもいて、
疲弊してしまうこともあります。
見たい情報がどんどん入ってくるけれど、
見たくない情報も拡散されて入ってきます。
最近では、
施設での死生観を過剰な発信している施設があって
その不快感が嫌でたまらないのだけど、
それ以上に怖いと思うのが、
それを絶賛している人たちのコメントで、
死生観を考えることは悪くないし、
先進的な介護があってもいいと思うのだけど、
その言葉選びや発信方法が
とにかく嫌に思えてしまうのです。
本日もお看取り。ご家族と爆笑しながら『ほら、ふてぶてしい顔してるでしょ、記念写真撮りましょ♫』って奥様がスタッフを呼び寄せ、みんなでお身体ふいて、浴衣に着替えて、冗談言い合いながらベッドを囲んで記念写真とってる動画が看護・介護スタッフから送られてきた。関係性のあるケアを続けたい
— 菅原健介@ぐるんとびー (@KensukeGru) May 27, 2020
写真を撮ることには否定は無いし、
実際友達で「実は最後のお顔の写真持ってるんだ」と
そっと打ち明けてくれる人もいる。
だけど、その最後のお別れに
「爆笑」というワードがどうなのか、
そして、それが家族ならだけど、
「施設」がそれを「SNS」に「発信」するその不自然さ。
俺や俺の家族がお世話になったら、最後まで食いたいもん食わせてくれって伝えるし、危険でも本人の意思を尊重してほしい。もし誤嚥して死んでも食事を提供してくれた介護職や会社に責任はないし、葬式でドンマイって笑ってほしい。あくまでも自己責任として処理するのがこれからの介護の在り方だろ。 https://t.co/fkAOll9y0J
— 下河原忠道 (@tadamichi_shimo) May 27, 2020
ドンマイってDon't mindなんだけど
気にするなって、言えますかね…
『次は天丼くいたい!』『天丼はないっす!ラーメンなら作れます』『じゃあ、ラーメン!』えっと、夜中3時半。
— 菅原健介@ぐるんとびー (@KensukeGru) May 20, 2020
10日前まで半年間、ずっと病院でペースト食だった反動なのか、ほんっとに美味しいみたい。食べることは生きることだと教えてくださってる。 pic.twitter.com/StAUphETK5
そもそもこの動画が波紋を呼んで、
以降、介護クラスタでの発信がこれで埋まってしまったわけなんだけど
結果的に、施設を挙げて看護職も交えて
時間を少しかけながら嚥下機能を上げた結果の動画を
何の説明もなく上げて、
結果的に炎上商法になっているみたいです。
なんかどれも、今までならどこかでそっと行われたことなんでしょうけど
それをSNSで発信し
前後を知らない人が「見せられる」ことで
なんとも心のザワザワが止まらないのですよ。
仲の良い友だちは、経済的にもちょっとうまく行かなくて
悩んでいた時期があったけれど
その後、
「SNSを全部辞めてみた。
人と比べなかったら
人生結構楽しいよ」
と連絡がありました。
新しい道を見つけたみたいで、
そこから割と楽に生きられてるみたいです。
情報収集のツールでもあるから
全部を辞めることができないので、
本当にSNSは諸刃の剣だと感じます。
心が疲れているからSNSが刺さるのか、
SNSがあるから心が疲れるのか、
これは永遠の謎です。
ただ、疲れた時は離れること。
これは誰でも忘れてはいけないことですね。
誹謗中傷については、
一番仲のいい友達が小学校の教師をしているのですが、
彼女がぼそっと、
「今の時代に生まれたら
私は生きていけなかったと思う。
大人が思っている以上に
子供のSNSの世界は過酷で
LINEの既読スルーは許されず
参加してないと何を言われるかわからないし
片時も離さずスマホを持っていないと
知らず知らずに誹謗中傷の的になる」
と言っていたのが忘れられません。
これは法律をどうこうするよりも
心の問題なんですけどね。
人間は沢山の感動も与えてくれるけれど
多くの闇も抱えている、
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コメント
コメント一覧 (2)
思うのは自由だけど、発言には責任が伴うものだと思っています。それが自分のブログであっても。
そしてびょうさんが載せてくれた介護職員のツイッター、これをみて母を預けるのが怖いです。
施設全てがこんなことが横行しているとは思っていませんが、万が一にもこんな人に当たったらと思うとね…私は笑えません。
あの施設は革新的な介護を目指していると思うのですが、言葉に品性がなく、印象が強くて怖いですね、多くの介護職員も不快に思っていて、それが普通の反応だと思います。
お母様の施設を決める際には面談をすれば施設の特色はつかめますし、あれは施設自体の取り組みで、職員が暴走した場合にはきちんと取り締まることができると思いますので、その点はご安心いただいて大丈夫と思いますよ(^^)
私達は個人情報の取扱や接遇についてはとても厳しくされています(^^)