介護施設で働いているびょうです。

寄る年波には勝てぬというもので、

最近は年齢的に脳内には重いテーマがひしめいているのに

体力的にそれをアウトプットするパワーがありません。

考えているのはいつもなのですが、

まとまらないし、

いろんな家事や何かで分断されてしまいます。

そんな中、ずっと考えているのが、

死生観の変化です。

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最近はSNSが発達して、いろんな場所で

人間の死生観が語られています。

私自身の死生観は、昔からある程度固まっていて、

中学生の頃から三島由紀夫の熱烈なファンだったこともあり、

命はその人のものであり、

それをどう終わらせるかはその人の自由だ、

とずっと思って生きています。

昔だったら不謹慎という人も居たかもしれませんが、

最近では、人生100年時代なんて言われる超高齢社会だからか、

認知症になるくらいなら死んだほうがまし、

安楽死を導入すべきだ、

というような意見も、人前で発言しても

さして咎められることのない時代になったと思います。

題材がとても重いものなので、

言葉を選ぶ必要があるし、

時には人を傷つけたり不快にさせる場合もあります。

それでも、自分がどう生きるか、

実際にできるかどうかは別としても

考え方として、それが選べる時代になったし

ネットというバーチャルの場とは言え、

公の場所で語ることができる時代になったとも思います。

どう生きるか、ということを考えて、

それを実践している施設の話は先日書きましたが、



こちらも死生観云々よりも、

その言葉の強さや品性の乏しさから、

とても暴力的に感じられたりしますが、

ひとつの新しい動きだと思います。

自分の親は入れたくありませんが。


死生観はいろいろだし、

ただ長く生きるよりも、その質、

命の量より質、

の時代ですが、

それも、医療の進歩で命が当たり前に長くなったのが

ひとつの大きな要因です。

命の多様性。

それと並行して、SNSを通じていろんなところに

自分の意見が投影できる時代です。

言論の自由もありますから、

何を言ってもいいのでしょう。

ただ、最近、そういう中でずっとモヤモヤしていたのです。

そして、ふと、その理由が浮かびました。

「死生観というのはその人自身のもの」

ということ。

なんか上手く表現できないけれど、

私が表現したいのは、

「その人の死生観は あくまでもその人自身の人生に適応すべき」

ということです。

よく、認知症になるくらいなら死んだほうがまし、

というような言葉を見かけますが、

それはあくまでもその人が認知症になるとわかったら

その人が命を終わらせればいいことであって、

その人以外の認知症の人が自死や安楽死すべき、

などと言うべきではない、

ということです。

ものすごく意訳すると、

その人が死にたいと思うのは勝手だけど、

認知症の人すべてが死ぬべきなんて言うなよ、

ってことです。

確かに、認知症じゃなくて、

癌の痛みを抱えて生きている方や、

これは介護の現場にいると痛感させられることですが、

胃瘻で意思の疎通が難しくなっている、

全身拘縮して何年も寝たきりにされている方を見ると、

命の在り方を本当に考えさせられますが、

認知症に関しては、

ご本人は決して不幸と思ってないよ、

というケースが意外と多いです。

たまたま最近ちょっと見かけたブログで、

「造花に水をやっている親」

というのがあったのですが、

ご本人が造花に水やりして楽しそうにしているようで、

それは見た人からしたら不幸なのかもしれませんが、

ご本人が幸せなら幸せなんでしょう。

施設で働いていると、

自分の妄想の中で楽しそうに生きている方は結構多いです。

利用者さんで、

一晩中、天井に向かってよもやま話をしている方もいます。

うちの母は、忘れていく不安を胸に抱きながらも、

少しでも楽しく生きようとしているらしく、

いつも自分に言い聞かせるように、

「ドライブ楽しかったね」「買い物、楽しかったね」と

言っています。

最近はちょっと、粗相をすることもあり、

凹んでいる事もありますが、

良くも悪くも忘れてくれるので、

こちらもあまり気に留めずに暮らしています。

ああ、ひとり、

この人は不幸だなと思った認知症の方がいらっしゃいました。

とても親孝行な息子さんを持った方で、

ご家族もみなさん優しく、よく施設に面会に来られていましたが、

まさに不幸なことに、

その方は面会に来たことを全部まるっと忘れてしまいます。

「誰も来てくれない」と悲観したその方は、

やはり家族の優しさで持たせて貰った携帯電話で

毎日何度も息子さんに電話をされて、

最初は頑張って電話に出ていた息子さんも

あまりの頻度に心が折れてしまい、

電話に出なくなってしまいました。

私もご家族にお会いしたことがありますが、

その方は、永遠に誰も来ない孤独の中で生きてしまって、

みるみるうちに弱ってしまいました。

これはご本人にもご家族にも本当に不幸な症状だと思います。

でも、そこまで悲壮な例は稀だと思います。


私達の世代は、親が変わっていく姿を目の当たりにしたり、

自分がそうなってしまうという恐怖感を持って、

「あんなになるなら、死んだほうがマシ」

と思うのは仕方がないでしょうけど、

「親があんな風だから死んだほうが幸せ」

と思うのは間違っていると思うし、

「認知症の人は不幸せに決まっているから

 高齢者には安楽死させてあげよう」

という風潮がちょっと感じられるのは

とても怖いと思います。

実際、いろんな人が認知症について書いたりしていますが

認知症という病気はありません。

アルツハイマーが女性には多いし、

うちの母もそうなのですが、

比較的緩やかに進んでいきますし、

確かに攻撃的になられる場合もあるけど、

母のように薬で調整してもらうこともできますし、

実際母はアルツハイマーになる前よりも

可愛らしくて穏やかです。

私が実際にお会いした認知症の方はほとんどそんな感じで

穏やかに暮らしておられます。

私はまだ経験が浅いですが、修行でいくつかの施設を

掛け持ちして出会った利用者さんは現在約100人。

その中で、

物盗られ妄想で攻撃的になってた方は一人だけ。

その人も年がら年中ではなく、

何かのスイッチが入った時だけでした。

どこかのブログでは、

グループホームというのは、重度の認知症の方がいる

悲壮な施設だ、みたいにありましたけど、

私が訪れたことのあるグループホームは、

のんびりした空気の中で、

優しい職員さんが、何度も同じ話を聞いてあげたり、

ゆっくりと洗濯物を畳んだり、テレビを見たり、

じっと手遊びしたり、

これ以上に安全な場所はないな、

と思うほど穏やかな場所でした。

まあ、相変わらずとりとめのない私の文章で申し訳ないのですけど、

言いたいのはですね、

死生観を語るのはよろしいけれど、

それは思ったその人にのみ適応すればいいのであって、

人のことは放っておこう、

ということと、

認知症の人すべてが不幸ではないし、

認知症であれそうでない人であれ、

幸せか不幸かは、

その人だけにしか知り得ない、

ということです。


重い上にいまひとつまとめきれなくて、ごめんなさい。

あと、いろんな人の意見を見たりして思ったのですが、

実際に介護の現場を体験してない方は

当たり前ですが、ショックを受けたり必要以上に

怖がったりしているのが散見されますので、

ある程度の経験のある介護の現場の方の感想が

参考になるかな、と思います。

また、認知症サポーター養成講座というのが全国で開催されています。

噂話で怖い思いをするよりも、

実際に現場の話を聞くのもひとつの手です。






来週、これが届くので車のお手入れをしようと思ってます。




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