介護施設で働いているびょうです。

コロナ騒動で仕事のシフトに異変が生じてかれこれ3ヶ月。

当初はこんなに長くなると思わず、

今になってまとまった疲れが噴出してる感じです。

気持ちにも感染についてが重くのしかかるし、

天候も優れず、みんなそれぞれにきつさを抱えて生きてる昨今。

そんな中、

まだこんなに感染者が増えてない時期に

ここ10年ほど帰省の度に一緒にでかけている友達と

GWに果たせなかった約束を果たそうと、

長崎に行ってきました。










きっかけは去年のGW


始まりは去年のお盆。

暑かったので長崎県西海市の鍾乳洞に出掛けた時に

そのまま海岸線を伝って、長崎の外海にたどり着き、

「ここが遠藤周作文学館ですよ、今日は閉館してるけど」

と言うと友達が

「え!僕は遠藤周作のファンなんですよ 次連れてきて!」

と言われたのが発端。

次までに遠藤周作の作品を読んでくるのが宿題でした。

そして今回。

遠藤周作の「沈黙」をきっかけとして、

その近くにある外海地区のキリシタンの活動も見学したいし、

せっかくなら長崎市内の二十六聖人記念館にも行こうとなり、

とても日帰りでは回れないから宿泊しよう、

という事で結果的に旅行となった訳なのです。


諸星大二郎の「生命の木」とライフワーク



私は何となく、潜伏キリシタンに興味があります。

一番のきっかけが、

諸星大二郎の「生命の木」を読んでから。

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映画にもなってるみたいですね。

 


キリスト教が弾圧されて教徒が潜伏してる間に、

日本独自の進化を遂げ、本来のキリスト教とは別の宗教に

変貌しているのが潜伏キリシタン。

ただ隠れていたのが隠れキリシタンです。

そこには様式に固執する日本人らしい進化でミステリアスになった宗教の

面白さと、舞台になっているのがほとんど、当時は貧しさにあえぐ

寒村なので、そこに住む人達の悲しい歴史があり、

知らず知らずに彼らの歴史を辿ることが

私のライフワークになってきていたのです。




世界遺産になった出津(しつ)教会堂



私の母のルーツでもある長崎の外海地区には

世界遺産にもなった出津教会堂があります。

初めて行ったのはまだ父が健在で、

両親が行きたいというので三人で申し込んだバスツアーに

たまたまその教会の見学が組み込まれていたのです。

当時ペーパードライバーだったのでそんな遠出は嬉しく、

美しい教会を見て単純に喜んでいました。

その後、上記のようなことに目覚めて

改めて訪れた出津教会堂。

そこには昔、ドロ神父という人がいて、

貧しい村の人達に教育を施し、

そうめんの作り方を教えて自ら船でそうめんを売り、

村の人を助けた、ということは何となく知っていました。

しかし。

今回の旅で、そのイメージが大きく覆ったのです。


ドロさまはイケメン


まずは、そのドロ神父。

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ドロさま、という呼称や老後の写真で知られているので

清貧に生きたおじいさん、と思っていたのですが、

28歳で来日したドロ神父は

イケメンでした。

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地区には他にも、おお、俳優さんのようじゃ、と思わせる

素敵な写真がありまして、

なんか違うわーと笑いながら回ったのでしたよ。

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ドロさまは元貴族


二十六聖人記念館を回った時も思ったのですが、

キリスト教布教に関わった方には

元々お金持ちで好き放題していた御曹司が

何かしらつらい思いをしてから宗教に目覚めた、

というパターンが割とあります。

お釈迦様もそうですよね。

ドロさまは特につらい思いをした訳ではなく

キリスト教との出会いがあったそうですが

ご多分に漏れず貴族の御曹司。

そして次男。

婚活女子風に言えば、良い物件です。


ドロさまはお金持ち


清貧に生きた神父様のイメージですが、

ドロさまが日本に行くとなった時に、

ご両親が心配して、財産の一部を分けたそうです。

その金額、当時の換算で約2-3億円。

だから、ドロ神父は教区にオルガンを何台も取り寄せたり、

メリヤス編み機を取り寄せたりしました。

貴族の良い教育を受けているドロ神父は

かならず「良いもの」をお与えになったそうです。

なのでオルガンでさえも一流品。

フランスはデュモン社のハルモニウムというオルガンで

今もちゃんと弾けます。




このハルモニウム、足踏みのオルガンなのですが、

鍵盤を持ちあげてセットすると、ひとつの鍵盤で

和音の演奏が可能になります。

また、傷むので今は使わないそうですが、

鍵盤をスライドさせることで移調が可能だそうで、

カラオケの音階を合わせる機能のようなものが

簡単にできたのだそうです。

ここでシスターが弾いてくださったオルガンの音色は

当時の人たちが聞いたのと同じ音。

なんとも感動しました。





その救護院にある石膏像も全てフランスから持ち込んだもの。

当時の人にはどれだけ心の助けになったでしょうね。

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ドロさまは字が綺麗でしかもよく見ると!


ガイドの方が教えてくれて驚きましたが、

ドロ神父は字が綺麗。 



「良く見てごらんなさい」

と言われて見ると、

全部ローマ字なんですよ!

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そしてここの村ではローマ字を教えていたそうです。

これって実際に行って目にしないとわからない感動です。



ドロさまは建築士でもあった


ドロ神父のご両親は社交界を嫌い、田舎で生活されていましたが、

子どもたちにはどんな状況でも生きていけるように

様々な教育を施していたそうで、

ドロ神父は建築の教育も受けていたので、

教会から救護院など様々な建築もされておられました。



ドロさまは発明家


こちらで当時作られたそうめんは、

手延ではなく、当時ドロ神父が考案した機械で

作られていたそうで、

他にもかんころ餅をスライスする機械も作ったそうです。

展示されていますが、こんな小さな村の中で

産業革命が起きていたんですよねえ。

実はここはそうめんだけでなく、

スパゲティやマカロニも作られていて、

それがフランスからドロ神父が持ち込んだもので、

ここはパスタの発祥の地なのです。


ドロさまは金持ちなのに人柄が良い


シスターの有り難いお話の中で、

ドロさまはユーモアがあり楽しいお方で、

身分の別け隔てなく、

今も村の人達と同じ墓地に眠っておられます、とのこと。


ここまで聞いていて、

素直じゃない私は、どっかに欠点があるだろう!と思いましたが、

それはもう知る由もなく、

歴史に刻まれたお姿は、まさに非の打ち所がありません。


感銘を受けた私達はその足で、ドロ神父のお墓にも行きました。

これが蒸し暑くて辛かったんですけど、

こうして墓地を尋ねると感動もひとしお。

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28歳で日本に来られ、46年間一度も帰国すること無く

修正社会事業に貢献。

でも、ノルマンディー地方との気候も全然違うし、

どれだけ辛かったことでしょう。


今回、ドロ神父の足跡を辿って、

こうした社会事業、福祉事業の大切さを知りましたし、

そう思うことで

私のやっている仕事は、

時にはあまりにも過酷、あまりにも理不尽、あまりに薄給ですが

人が人である証と思い、

思いを新たにこれからも頑張ろうと思った次第ですよ。

今ね、小さい子がなりたい職業にはユーチューバーなんてのが

あがってるそうで、

それはそれで時代の流れで良いのかもしれませんけど、

過去に偉業をなした人を子どもたちに教えてあげることも

大切な大人の仕事と思いますし、

結果的に何になっても自由だけど

こうした人を知り、自分もより良くなりたいと思うために

歴史を教えることも大切なのだと思いますよ。


世界遺産になってもならなくても、

私は私のための私遺産をこれからも巡ります。

外海の海はドロ神父も、そして母も子供の頃に眺めた海。

これからも何度も訪れる予定です。







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