老人ホームで働いているびょうです。


今日は父の命日。


昔、10年ほど前になりますが、

私は隣の政令指定都市の中心地からほど近い街に

ひとりで住んでいました。

自営業で一人気ままな生活、夜に出かけることも多く、

また、当時は仲の悪い姉が実家に出入りしていたこともあり

私は実家に帰ることはあまりありませんでした。

ところが、

その頃、父が急激に痩せてしまい、

行きつけのかかりつけ医に見せてもピロリ菌と言い張ります。

でも、あまりの痩せようにセカンドオピニオンとして

大学病院で検査を受けると、

大腸と肝臓に癌があることがわかりました。

いきなりの余命半年。

闘病生活になる、ということで、

母が不安に思い、私が実家に帰ることに。

実家と言っても両親が賃貸していた家で、

私は住んだことがない田舎町。

悩んだけれど、当時持っていた荷物のほとんどを処分して、

両親の家に引っ越しました。

その時に大切なインテリアなどほどんど処分してしまったので、

当時は気持ち的に、絶望に駆られていました。

父が入院し、母だけが残る家に着いた時に、

母が一人、どうしたらいいかわからない顔で

リビングに座っていたのが昨日のように思い出されます。


しかしながら、たまたま当時出たばかりの抗がん剤が

劇的に効いて、父はその後、持ち直し、

当時からやっていた鳶職を辞めること無く、

6年、生きました。

抗がん剤を打ちながら、肉体労働している父、

後半は足場組の仕事は辞めて、シルバー人材センターで

植木の剪定をしていました。


最後の頃には、大学病院に入院したのですが、

その病院での仕打ちがあまりにも理不尽だったこと、

終末期になったので、ホスピスへの転院を迫られたことから、

父を家に引き取り、訪問看護を探して、

自宅で父を看取りました。

その時、母も、関東で暮らしていた姉も、

父の介護はできないと介護を拒否。

病院で清拭など練習して、最後まで私が介護をして、

看取ることができました。


その時にとてもお世話になった訪問看護のナースの方々が

本当に良くしてくださって。

真夜中に急変すると、すぐに来てくださり、

せん妄で混乱する父が眠るまで、

2時間もずっと父の身体をさすってくださったりしました。

最後の頃は私も24時間、いつでも呼ばれるし、

父は内臓が癒着して激痛があるからモルヒネを処方されているのに

身体が丈夫なものだから、歩けるのです…

歩いて外に出ようとするのを止めて、

夜も昼もない介護生活でした。

誰に頼るにも、家族は介護拒否しているし、

訪問看護のナースや医師が来ると、

顔を見ただけで、涙が溢れ出して。

口々に、よくやってる、無理しないでねと

かけてもらえる優しい言葉だけで、

やっていけていたと思います。

介護の資格をとる時に勉強した、

レスパイトケア、という言葉、学校で見た時にちょっと泣けました。


4年前の10月22日、父が息を引き取り、

医師に連絡をして来てくださった時、

死亡の診断を貰った後、先生が自ら、

死後の処理をしてくださいました。

一緒に来ていたナースがびっくりして、こっそり教えてくれたのですが、

医師が自らそういう処置をすることは滅多になく、

ありえないくらいいい先生だったそうです。

父はその先生のことがとても好きで、

自分が大相撲の仕事をしていた頃に大切にしていた、

大量の大入り袋を額に入れて飾っていたのを、

先生に上げるのだといって自慢げに話していたのです。

父の宝物を貰った先生は胸が詰まっていたようで、

本当に最後まで良くしていただきました。


その時、普段自分や家族が健康な時には、

その存在を知ることがなかった訪問看護という世界に

感動し、そういう尊い仕事があるんだということを知り、

私も看護師になりたい、と心から思いました。


そして、まったく別の理由から今年、介護職に挑戦したわけですが、

この父の自宅介護がなければ、

私は自分が人の下の世話ができるかどうかなど

わかる訳もなく、怖くて応募できなかったと思います。

介護の資格を勉強した時には、

どれもこれも、父の介護の時に経験したことばかりだったし、

終末ケアについては、現代では実際に経験する人は

ほとんどいないということで、

滅多にない機会を父がくれていたことを知りました。


だから、今この仕事ができているのは

200%父のおかげなのです。


当時は、仲のいい親子だったんですねとよく言われましたが、

私は父と特に仲が良いわけではなかったし、

むしろ、お互いに興味ないし、子供時代を振り返ると、

見捨ててもおかしくないような関係でした。


それでも目の前に病人がいれば、

なんとか助けようとする、

人間は愚かで、

そして、

優しい。

そういうことを身をもって知ることができたのです。


父とのことはとても一度で書ききれるものではないので、

追って書いていきたいと思います。


Facebookで4年前、

「今、父を見送りました」

という投稿に、友達から沢山のコメントをもらいました。

今朝、読み返していたら涙が溢れました。

今も涙ポロポロです。


姉の投稿にも父のことが書いてありましたが、

姉は一度も父に触れることなく、

同じ家に泊まることもなく、

悪臭や死の気配が漂う部屋に関わることもなく、

優雅なホテル生活でした。

そこは、今でも私は納得できていません。


今日は夜勤明けにショッピングモールで、

白いポンポン菊と紫の桔梗を買ってきました。

今時、花って高いですね…


それでも、父にお礼が言いたくて。


改めて、父にありがとう、と伝えることができました。


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