老人ホームで働いているびょうです。

昨日出勤して、連絡帳を見ていて、震えました。

元気だった利用者さんが、

亡くなっていました。



この仕事に就いて、

命のあり方、生き方、死に方、いろいろ考えさせられます。

でも、そういう頭で考える綺麗なことよりも、

昨日までいた人が、

もう今日はいないんだ、

というぽっかり空いた穴を不思議な気持ちで眺めているのです。


ふっと…

いなくなる。

有ったものが、無くなる。


それはまるで、

古代の人が思い描いた、世界の果てでは海が滝になっていて、

その滝からすとんと落ちていなくなる人たちを

呆然と眺めているような、

不思議な世界です。


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そこには悲しみや苦しみはなく、

わずかながらに、

古い肉体や病気に蝕まれた肉体から開放された

ほっとしたような希望が仄かに匂い立ちます。

赤い夕陽のようで、

実はこれから何かが始まる期待感がある、

朝日を浴びているような。



私が就業してから亡くなった方々は、

本当に手がかかり、

痛い思いをさせられて泣きそうになったこともありました。

毎日、くっそー、この爺さんめ、明日は覚えとれよっ

とちょっと悪態をついたりしていたのに、

出勤すると、

もういない。

そんなんダメじゃん、

また格闘しようよ、

叩こうとする拳をパシッと受け止めて、へへんと笑いたい。

なかなか食べてくれない食事を上手く介助して、

ほーら、美味しかったやろ?とドヤ顔して叩かれたい。

孤独を詰め込んだパンチを受けて

痛い痛いとおどけて見せたい。

のに。

もういないなんて。

勝手に行っちゃうなんて。


命のやり取りをする救急医療の現場なんかは

とてもじゃないけれど

プレッシャーに弱い私には向いてない。

お年寄りがとても好きだから、

忙しい介護の合間にちょっとした交流を楽しんで、

最後に私の眼に、

その姿を焼き付ける。


時には大変だし汚いし痛いしきついけれど、

とてもいい仕事に就けたと思う。


きっと、天国の私の父と語らっているだろう。

もう、酷い認知症で意味不明なことを喚き散らしていた方だったけど、

部屋の壁には、

元気だった頃に作った、素晴らしい詩が飾られていた。

またあの頃の自分に戻れて、

きっと喜んでいらっしゃると思う。


私もいつか行くけれど、それがいつかわからないから、

もうちょっと荷物の整理はしとかないとね。


 


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