介護施設で働いているびょうです。
にほんブログ村
※ブログ村のランキングに参加しています。
タップ・クリックいただけると嬉しいです。
最近、にほんブログ村の読者登録をしてくださっている方が
とても増えました。
ブログの「いいね」を押してくださる方もとても増えました。
昔の記事を振り返ると、いいねの数なんて普通に一桁だったし。
それでも自分で言いたいことが書ければいいのだけど、
やはりモチベーションは全然違います。
そしてそれだけの方の目に留まっていると思うと、
書きたいことも自ずから変わってくるものです。
みなさん、いつも本当にありがとうございます。
ところで。
私は毎月1日に「ついたちのお赤飯」を炊いています。
これは父が自営業をしていて、
母も商家の生まれで祖父が厳しく、
わたしたちの家族にはついたちが特別だったから。
ついたちと15日には神棚に榊を上げてお参り、
お米やお神酒を替えたりと忙しくもありました。
お赤飯も1日と15日に炊いていたのです。
さすがにそれはしてませんが、
ついたちのお赤飯だけは何とか私にもできるので
細々とと続けています。
夜勤明けの申し送りで
「ついたちですね、赤飯炊く家もあるらしいね」
という話になり、
私、今から炊きますよ、なんて話していたんです。
最近は母の為に、お赤飯にお芋を入れて炊くようになり
栄養素的には過剰かもしれませんが、
味的には悪魔の食べ物のように美味しくなったんですよ、
なんて事も話していたら、
いいなあ、という声もいただいて。
帰ってきてから、少し多く炊いても手間は一緒だし、
多めに炊いてお昼に職場に届けてあげようかな、
なんてことを考えました。
職場もそんなに遠くないし、縁起物だし。
そして炊こうとした時に、ふと気づいたんですよ。
私、先日指に小さな擦り傷を作ったのですが、
それが何故か全然治らなくてとても痛いので、
小さな絆創膏をしていたのです。
くまの絵のついた、かわいい絆創膏。
それが、食材を洗って準備が終わった時に
無い。
無いんです!
ああ、どうしよう。
もち米は3合、茹でた小豆と混ぜたところで、
全部を丹念に調べましたが、
もちろん入っていませんでした。
めちゃくちゃ丁寧に見たから大丈夫、
なのですが、
何しろその物体は見つかっていないし、
物が物です。
99.9999%大丈夫と思っていても
それが決して100%ではないのです。
万が一、そんなものが混入されていたら…
それに、もしもそんなことがあっても、
うちの職場の人たちは優しいから、
絶対私には言わないはず。
ということは、これから先、こんなことで
妙に疑心暗鬼になっていくのか、と思うと
失うものが大きすぎて結局持っていくのを止めました。
最悪じゃないか…
と思ったのだけど、
ふと冷静になってみると、
こうしたちょっとしたお節介って、
自分の場合はその場では自己満足するのだけど、
後で結構な頻度で、
「こんなことやらなければよかったなあ」
という反省の対象になるんですよ。
そしてさらに、
別に私がとても料理が上手いという程でもなく、
貰った方も迷惑かもしれない。
そう考えていくと、
「いいね」って言われたのも
社交辞令なのかもしれないなあ…
いいねって言ったら、このおばさん、
調子に乗って持ってきちゃったよ、おいおい、
という結末になるかもしれない。
何よりも、とても小さな擦り傷とは言え、
負傷している手で作ったものを
他人様にあげるなんて絶対に良くない。
考えている内に、
ああ持っていかなくて良かった!
って思いました。
うん、調子に乗っていたのね私、
夜勤明けだからねえ。
結局、母のお昼ごはんにもお赤飯。
晩御飯もお赤飯。
普段はマンナンヒカリなのでたまに食べるちゃんとした
もち米はもっちりして美味しかったです。
3合はあまりにも多いので冷凍して、
少しずつ食べていこうと思いました。
人間万事塞翁が馬。
私は好きな言葉ですが、今の若い人が使っているかどうか
わかりません。
中国のとある老人(塞のおきな)の馬が逃げたので
人々が同情していると、
老人は「これは福となるかもしれない」と言い、
その後、その逃げた馬は沢山の馬を引き連れて戻ります。
それを見た人々が「良かったね」と喜ぶと、
老人は「これはわざわいになるかもしれない」と言い、
その馬に乗った老人の息子は落馬して足を負傷してしまいます。
それを見た人々はまたまた老人に同情するのですが、
老人は「これは福となるかもしれない」と言い、
その後、その土地では戦が始まったのですが、
老人の息子は負傷していたので兵に取られることがなかった、
というお話。
だから、物事の行方というのは悲観するものではないですし、
できることなら残念だと項垂れてしまいがちな時に、
その物事が良きに転じるように考えてみることは大切です。
良かれと思って人にしてあげることは
多くの場合、冷静になってみると
距離が近すぎて後悔したり、
お節介だったかしらとしばらく引きずったりしますからね。
今月も調子に乗りすぎず、わきまえて生きていけたら嬉しいです。
ランキングに参加しています。
よろしければバナーをクリックいただけると嬉しいです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
※ブログ村のランキングに参加しています。
タップ・クリックいただけると嬉しいです。
最近、にほんブログ村の読者登録をしてくださっている方が
とても増えました。
ブログの「いいね」を押してくださる方もとても増えました。
昔の記事を振り返ると、いいねの数なんて普通に一桁だったし。
それでも自分で言いたいことが書ければいいのだけど、
やはりモチベーションは全然違います。
そしてそれだけの方の目に留まっていると思うと、
書きたいことも自ずから変わってくるものです。
みなさん、いつも本当にありがとうございます。
ところで。
私は毎月1日に「ついたちのお赤飯」を炊いています。
これは父が自営業をしていて、
母も商家の生まれで祖父が厳しく、
わたしたちの家族にはついたちが特別だったから。
ついたちと15日には神棚に榊を上げてお参り、
お米やお神酒を替えたりと忙しくもありました。
お赤飯も1日と15日に炊いていたのです。
さすがにそれはしてませんが、
ついたちのお赤飯だけは何とか私にもできるので
細々とと続けています。
夜勤明けの申し送りで
「ついたちですね、赤飯炊く家もあるらしいね」
という話になり、
私、今から炊きますよ、なんて話していたんです。
最近は母の為に、お赤飯にお芋を入れて炊くようになり
栄養素的には過剰かもしれませんが、
味的には悪魔の食べ物のように美味しくなったんですよ、
なんて事も話していたら、
いいなあ、という声もいただいて。
帰ってきてから、少し多く炊いても手間は一緒だし、
多めに炊いてお昼に職場に届けてあげようかな、
なんてことを考えました。
職場もそんなに遠くないし、縁起物だし。
そして炊こうとした時に、ふと気づいたんですよ。
私、先日指に小さな擦り傷を作ったのですが、
それが何故か全然治らなくてとても痛いので、
小さな絆創膏をしていたのです。
くまの絵のついた、かわいい絆創膏。
それが、食材を洗って準備が終わった時に
無い。
無いんです!
ああ、どうしよう。
もち米は3合、茹でた小豆と混ぜたところで、
全部を丹念に調べましたが、
もちろん入っていませんでした。
めちゃくちゃ丁寧に見たから大丈夫、
なのですが、
何しろその物体は見つかっていないし、
物が物です。
99.9999%大丈夫と思っていても
それが決して100%ではないのです。
万が一、そんなものが混入されていたら…
それに、もしもそんなことがあっても、
うちの職場の人たちは優しいから、
絶対私には言わないはず。
ということは、これから先、こんなことで
妙に疑心暗鬼になっていくのか、と思うと
失うものが大きすぎて結局持っていくのを止めました。
最悪じゃないか…
と思ったのだけど、
ふと冷静になってみると、
こうしたちょっとしたお節介って、
自分の場合はその場では自己満足するのだけど、
後で結構な頻度で、
「こんなことやらなければよかったなあ」
という反省の対象になるんですよ。
そしてさらに、
別に私がとても料理が上手いという程でもなく、
貰った方も迷惑かもしれない。
そう考えていくと、
「いいね」って言われたのも
社交辞令なのかもしれないなあ…
いいねって言ったら、このおばさん、
調子に乗って持ってきちゃったよ、おいおい、
という結末になるかもしれない。
何よりも、とても小さな擦り傷とは言え、
負傷している手で作ったものを
他人様にあげるなんて絶対に良くない。
考えている内に、
ああ持っていかなくて良かった!
って思いました。
うん、調子に乗っていたのね私、
夜勤明けだからねえ。
結局、母のお昼ごはんにもお赤飯。
晩御飯もお赤飯。
普段はマンナンヒカリなのでたまに食べるちゃんとした
もち米はもっちりして美味しかったです。
3合はあまりにも多いので冷凍して、
少しずつ食べていこうと思いました。
人間万事塞翁が馬。
私は好きな言葉ですが、今の若い人が使っているかどうか
わかりません。
中国のとある老人(塞のおきな)の馬が逃げたので
人々が同情していると、
老人は「これは福となるかもしれない」と言い、
その後、その逃げた馬は沢山の馬を引き連れて戻ります。
それを見た人々が「良かったね」と喜ぶと、
老人は「これはわざわいになるかもしれない」と言い、
その馬に乗った老人の息子は落馬して足を負傷してしまいます。
それを見た人々はまたまた老人に同情するのですが、
老人は「これは福となるかもしれない」と言い、
その後、その土地では戦が始まったのですが、
老人の息子は負傷していたので兵に取られることがなかった、
というお話。
だから、物事の行方というのは悲観するものではないですし、
できることなら残念だと項垂れてしまいがちな時に、
その物事が良きに転じるように考えてみることは大切です。
良かれと思って人にしてあげることは
多くの場合、冷静になってみると
距離が近すぎて後悔したり、
お節介だったかしらとしばらく引きずったりしますからね。
今月も調子に乗りすぎず、わきまえて生きていけたら嬉しいです。
ランキングに参加しています。
よろしければバナーをクリックいただけると嬉しいです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
コメント
コメント一覧 (14)
子供の頃 毎月一日はお赤飯だったのを思い出しました。
元日 祝日には 玄関外に国旗を飾っていたのも思い出しました。
我が家は今も神棚は大切に祀っています。
遠い昔の田舎暮らしを思い出し しんみりです。
上記ブログ 耳が痛いです。
きっと私はお節介なんだと思います しんみりです。
元気も嬉しいけど 病で教わり救われるものも沢山ありますね。
毎日気持ちが忙しいです。
いつも拝見しています。
水疱性類天疱瘡からのステロイド性糖尿病の86歳の父を、在宅介護しています(長女が)。
私は実家の近くに住んでいるので、皮膚に薬を塗ったりインスリンを打ったり、口腔ケアの手伝いに毎日行っています。
(長女もやっていますが、いつまで続くかわからない介護…長女が疲れ果ててしまうといけないので)。
正直うんざりする時もあってメンタルやられそうな時もありますが、びょうさんのブログを訪問すると元気が出てきて「仕方ねぇ、また頑張ろう」という気持ちになります。
お母さんとも仲良しで微笑ましいです。
私は、びょうさんのお姉さんと同じくらいの年齢だと思いますが、私達もいろいろと揺らぐお年頃なので無理せず立ち向かって行きましょう。
ご自愛ください。
びょうさん、体調回復されて何よりです!
そしてブログ人気🎵
淡々と府に落ちる文章(それも魅力的な表現で)を書かれるびょうさん、ブログが人気なのも納得です。
人間万事塞翁が馬、普段使いませんが(意味もうつろ覚えでした💧)、高校入試で試験に出たので未だに覚えてます(笑)
そして『人間万事塞翁が丙午』って本を書かれた青島幸夫さんのことも連想してしまいます。
そういえば連想ゲームって番組ありましたね。
多分何回か、ごめんなさい。
お赤飯凄いな。月一という慣習があるのですね。
私は毎日のご飯、お水。仏壇と神棚にお上げするのやってません。母は嫁いでから何があろうともやってました。私は出来ないのでやりません。
びょうさんのお赤飯食べてみたいなー。傷あっても。
わきまえたりなんかしなくて良いですよ
びょうさん❣️
毎日BYOUさんのブログ
楽しみに読ませていただいてます
なるほどね
そうよね👍️
と出勤前に
気持ちが楽になる内容でした
もちろん
BYOUさんが
調子に乗ってたとは
思いませんよ
気の持ちようですね
これからも
楽しみにしています
無理の無いよう
と言っても無理されるのでしょうが
心と身体
少し労りつつで
お願いします
お赤飯差し入れ断念を巡る心境の変化、確かにそうだと思いながら…、少し残念にも感じました。もちろん無責任な第三者の視点ですが。おいしいお赤飯を食べ逃した、と、なぜか自分が同僚の方の気分になっていました。笑
ちょっとしたプレゼントは用意するのが楽しいし、思いがけずいただける側とてきっと嬉しいものじゃないかと思うのです。でも本当にびょうさんが綴っておられる通りで、考え始めたら果てしなく難しい!お祝いの品やその返礼品はある意味義理と義務と世論?みたいなものですから相場があって楽ですが(懐は痛い)、普段のつきあいの中で気後れしない位のほんの気持ち、みたいなさらっとしたプレゼントのやりとりに憧れます。
私事ですが義理の親戚から頂いたお祝いのお返しにギフトブックを用意して、その合理性にしみじみとなったり、また義兄の結婚祝いに迷った挙句に某ブランドのお皿にしたものの、もし奥さんが気に入らなくても絶対売れるところのだから!と保険をかけてみたり(よく考えたら売る手間だってありますよね)、夫婦間で夫に仕掛けたささやかなサプライズプレゼントがタイミングより早く夫と義母にネタバレしちゃってあーあとなったりして、人にものをあげるのってうまくいかないとちょっと尾を引くなあと思っていたので、すみません、冗長な語りになってしまいました。
神棚があった頃は1日15日のお赤飯に加え、お米やお神酒の交換などとても大変で、神棚のある暮らしは尊敬しています。
何でも考えようで変わるので幸せになる考え方を模索しています。
お父様は母と同い年ですね、デリケートで大変なご病気、長女さま中心とは言え大変だと思います。皮膚のご病気は仕事でも経験はありますが、心が折れることも多いと思います。
私のブログがお役に立てているとのこと、こちらがお礼を言いたいほどです。
うんざり、そう、その言葉ですよね、わかります。姉と同世代とのこと、自分の人生の仕上げの時期にも入りますし、他人事ばっかしてられない、なんて焦りもあるのではないんでしょうか。でも、自分の親が生きて目の前にいると自分優先にはなかなか、ですよね。
無理のない範囲でご自身の人生も是非エンジョイしてくださいね。
青島幸男さん!そっか本がありましたねえ。そんな方が都知事をしていたころもありましたね、もう遠い昔… 塞翁が馬とか漁父の利、なるほどねと思う楽しい言葉は残していきたいものです。連想ゲームと言えば、岡江久美子さん。太陽のような方がもう居ないと思うと寂しく感じます。
毎日のご飯は他にどなたかお手伝いされているのでしょうか、できないというか、してくれる方が居たらしなくていいですよね。私もきっとしません^^;
お赤飯は誰が作っても同じ、炊飯器でも簡単にできるのでいつか是非作って見られてくださいね。
意外と後で苦悩するタイプなんですよww
朝からヘビーなことをアップしてるなと思うこともありますが、今回はヒットしたようで安心しました(*´ω`*)
対人関係は難しいもので、できるだけ控えめに目立たぬようにと思っています。
仕事は仕事のことで悩みたいもので、職員間の感情のあれこれで悩むのはもったいない気もするもので^^;
ぼちぼちがんばります。
実は自分が、人の握ったおにぎりが駄目だったりすもので、貰う立場を改めて考えると、何もしないのが一番、みたいに思ってしまうんですよ。
あと、前の職場で困った、毎回貰うお菓子のお返し。母からもらいっぱなしは恥と習ったので何か返そうと思うけど、欲しくて買っている訳ではないので予算にも気を使うし、貰って食べたら身になるし… 日持ちが、とか、糖質がとか、もう仕事のことじゃないのに、イライラしてしまってw
人に物をあげるのは難しいと昔から言われていますよね。サプライズがバレちゃったお話は微笑ましいものです(^^) 普段していることでもじっくりと書き出すとブログネタになるような面白いことがいっぱいです。