介護施設で働いているびょうです。

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母の入院、落ち着いてみるといろんなメリットもあります。

人にお任せしている分、

費用が掛かるのは当たり前のことですから、

あとは鋭意、稼ぐのみです。

一人だけだと家に居ても施設で寝泊まりしても

大きく変わらないのが有り難い所。



そんな中、

ちょっと前のことを思い出しました。

実はですね、

母も年が年だし、私も悔いが残らないようにと

春に母を連れ出していたのです。

母は普段は寝てばかりで、

あまりにも寝ている時間が多いのでかかりつけ医が心配して

薬の処方を替えたりしているのですが、

それでもちょっと、連れていきたいところがありました。

母が満州から引き上げて来て、しばらく住んでいた、

母方の祖母の郷里です。

ここは長崎に遊びに行った時によく通っていたのですが、

あまりに簡素なところで、わざわざ訪ねる必要はない、

と思っていたし、

母もあまりいい思い出がない土地なので、

敢えて訪ねることはしていませんでした。

しかし。

ちょっと前に、You Tubeで見ている「長崎暮らし」の方が

とても良いところですよ、という投稿をしていたのです。

そして、そこには、小さいけれど商店街もあることが判明。

それなら、連れていきたいと思い、

母に話してみると、行くと言います。

母と車椅子を軽自動車に詰め込んで、

一路長崎へ。

祖母の郷里なのに母にはあまりいい思い出がないのは、

母が満州から引揚げて来て、

まず、祖父の郷里からの迎えがなくて、

渋々祖母の郷里に帰ったこと、

そして引揚げの過労から祖母が亡くなり、

一家が肩身の狭い思いをして暮らしていたこと、

身を寄せた祖母の親類が父の後釜を狙っているように

母が感じていたこと、

その親類が母に学校に通う手続きをしてくれなかったこと、

などなど、火垂るの墓じゃないけど、

引揚者の辛い生活を絵に描いたような辛い生活だったようなのです。

だからこの年になるまで、その土地に行こうなんて

考えたことがありませんでした。

しかし、母も87歳になり、

今後、今よりも元気になることもないだろうし、

ある日帰ったら、

ということも考えうることから、

たとえいい思い出が無くても、その土地に行くことに

意味があるような気もするし、

何よりも私自身が記憶に刻むべきだと感じたからです。




実際行ってみると、

それはそれは小さな街でした。

小さすぎて、誰も訪ねてこない感じなので

当然駐車場というものもありません。

少し離れた漁協がやっている海産物店に行き、

前にある広い駐車場に停めさせて貰おうと尋ねました。

街を見たいので駐車させてくださいと頼むと、

海の男を絵に描いたような、

蛸入道スキンヘッドの強面の男性が

「長崎市内に行くと? 何日?」

と言うので、

「あの… そこの商店街です」

と答えると、

「ああ!商店街、街ね、街!笑」

と大笑いされていました。

そんなところです笑

母を車椅子に乗せ、街を歩きました。

暑くなったらお互い倒れるかもなので、選んだ3月。

それでもちょっと暑かったかな。

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母が住んでいたのはこんなところでした。

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海しかないところ。

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猫もいます。

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いろいろ朽ち果てていて、非常に私好みでもありました。

母が当時、お金がなくて買えなかった、

高級なお菓子屋さんがあるということで行きました。

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高級。

老舗であることは間違いありません。




これはリベンジするしかないと思い、

そこで大きな羊羹巻を買いました。

こういう時の為にしっかり稼いでいるのですからね。

母も喜んでいました。

途中、家から顔を出しているお婆さんに会いました。

話をすると、生まれた時からずっとここに住んでいるそうです。

母はその後、どうしてもここが嫌いで、

祖父に頼み込んで長崎の街中に引っ越したのですが、

そのままずっとそこに住んでいたら、

あのお婆さんと同じように、

外の世界を知らないまま、あの寒村で一生を終えたでしょう。

長崎市内に移り住んだ母は、

当時その辺りを仕切っていた人達にお願いして、

公園の中のバラックにお金を払って住みました。

学校に行けない母は、年を偽っていろんな仕事をして

労働があまりできなかった父親を助けました。

弟を養うために必死に働いた母ですが、

その弟とは現在、ご縁はありません。

その後、父と知り合った母は、

一発当てようと二人で汽車に乗って東京に出て働き、

その間に姉と私が生まれました。

運命とは自ら切り開くものだと教えてくれる両親です。

こうして、母のことをより良く知る為の旅になりました。

「いつまでも あると思うな 親と金」

よく言ったものです。

いつか必ず、お別れが来るとわかっているのに

やることを先延ばしにしてしまうものです。

こうして母が病気になってしまうと、

やることをやっていて、良かった、

悔いもないので、気持ちよく送り出してやろう、

と思えるだけ普段からちゃんとしていて

良かったなあと思えるのです。

そう考えると、このコロナという奴は

本当にやっかいで邪魔な奴だと思うのですよ。

母が無事に帰ってきたら、

涼しくなって、またどこかに行けたらなあと思います。



 

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