介護施設で働いているびょうです。

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桜が咲きました。
気持ちが焦りますが、そこは雨でちょっと落ち着いてみる。
そんな中。
私は映画が好きで特に単館系の映画に興味があるので
福岡では大変貴重な単館系映画館、KBCシネマのLINE登録を
していて新作映画の告知が届きます。
単館系としては、シネテリエ天神やテアトル西新も
まるで最近行ったように思い出されるのですが、
もう遠い遠い想い出です。
そして、今回ちょっと気になった映画が今日から上映
されています。
映画「あなたのおみとり」
介護の話題も気になるけれど、在宅看取りという題材も
とても気になり、見に行こうかな、と思って予告編を
見てみたのですが。
とてもほっこりとして、
「なんか、私のとは随分違う!」
と思ってしまいまして笑
自分も一通り、父の最後を家で看取ったので
そこと違和感があって、まだどうしようかな、なのです。
私は父が大腸がんで半年の余命宣告を受けた頃、
実家には滅多に帰らず一人暮らしが長い中、
賃貸アパートで気ままな一人暮らしをしていました。
そこで母から電話があり、父の余命が半年と言われ、
その時の荷物をほとんど捨てて、
両親が住んでいた(けれど自分は住んだことがない)家に
移り住み、父の通院を手伝い、
やがて一軒家の手入れも難しいことから、両親が賃貸で
住んでいた家から集合住宅へ引っ越し、
入退院を繰り返す父の送迎、やがては入院していた父を
家に連れ帰り、最後のひと月を自宅で看取りました。
映画のようにほっこりしたものではなく、
鎮痛剤のせん妄でまったくの別人になり
家族を認識できなくなった父が
何故か裸にバスタオルを巻いて、
どこぞの民族の酋長のように歩くようになり、
夜には携帯電話をナースコールのように使って
私を呼び、
或る夜には「お客さんが待っているから行かねば」と
外に出ていこうとする父と格闘し
つかみ合いをしたり。
自宅で自営業だったのだけど、ちょっとだけ、
ほんのちょっとだけ仕入れに行かせてくれ、と
自宅を出てやっと佐賀に着いた頃に
訪問医から電話が入り
「お母さんが困っているから帰宅してください」と
言われ泣く泣く帰ったり。
母ももちろん同居していたけれど、母は父にずっと
冷たくあたっていた罪悪感なのか、
父が母に接しようとすると
「殴られる!」と(たぶん)思い込んでしまったようで
父がアクションを起こすたびに私に頼ったり
訪問医に電話したり。
「私は苦労掛けられたから絶対に介護はしません」と
宣言していて、そもそも人の看病をしたり、
下の世話など絶対にしない人なので、
何一つ介護することなく、
私がワンオペで看取りをしました。
病院に呼ばれて清拭の練習をしたり、
訪問看護のナースに車椅子の動かし方を習ったり、
おむつの付け方、ベッド上での洗髪の仕方、
いろいろと習ったのが、のちに仕事となった訳で
あの頃に教わったことは本当に今でも
役に立っています。
父の嚥下が悪くなった頃に
「とろみを使いましょう」と言われて
とろみ?って思ったのもとても良く覚えています。
最期の頃に呼吸器が運び込まれた時に
業者の方に初めてパルスオキシメーターの使い方を
習ったのもちゃんと覚えています。
今振り返ると楽しかったこと、後に仕事として
役になったことなど思い出しますが
夜に全く眠れなかったり、
いろんな連絡ごとから逃れられず、早朝に近くの河原に
座って泣いていたり、
訪看さんが来たら泣き崩れて、毎回ハグしてもらって
もう限界だから、これ以上は危険だからと
父の入院を勧められたり、よく思い出せば
壮絶な「わたしのおみとり」でした。
予告編で出てくる訪問入浴も一度使いました。
マンションの階下のお宅に音がするからと
お詫びに行ったり、
実際浴槽が運び込まれていざ入浴となったら
父が全力で拒否してベッドにしがみついて
地獄だったり、結構な熱発だったけど
ナースの判断で入浴可能と言われちょっと驚いたり、
まーあ、いろんな経験をしました。
映画のようにきれいじゃないけど、
きれいだから映画になったのであって、
もしも私がカメラを回したら、
なんだか特殊な映画になっただろうなと思います。
それでも、私を娘と認識してない父に
「最後に逢いたい人はいますか?」とアセスメントして
弟に逢いたいというので首都圏に住む父の弟に電話をして
受話器を渡した時、
科目で頑丈な父が涙を流すのを初めて見ました。
いろんな想い出があります。
ドクターストップが掛かった程に辛かった部分もありましたが
私は在宅看取りして良かったと思っていますし、
あの時に戻れたら、間違いなく同じ選択をします。
当時はまだ珍しかった在宅看取りですが
最近は割と増えてきているようだし、
検討している方も多いと思います。
そういう方にはいい映画なんじゃないかな。
私は母も家で看取りたいのだけど、
仕事を辞めるには自分は年を取ったし、
呼吸器疾患での看取りはとにかく苦しいと聞くので
家にいると母が不安だろうとも思うので
入院の話を進めていますが、
人が死に際しどういう姿になるのかを知るのは
生きる上での大きな力となると思うのです。
私達が生まれてから目標とすること、
仕事での成功や充実、結婚や子育て、
いろいろありますが、その軸となるのは
「生きて死ぬこと」
死を意識することは、よりよく生きることに
繋がると信じています。
どこかで殺され解体された肉を食べ、
死にそうな家族は隔離されたところで弱り
生を終え、私達は死に直面する機会が無くなりました。
でも、死を意識し死に際を目に焼き付け
自分の生を大きく燃やすことって
人生のいろんな経験の中でも
とても素晴らしいことじゃないかなって思うのです。
儚いからこそ命は尊い。
老人ホームで亡くなっていった方の最期も
私の人生の大切な経験として積み上がっています。
沢山の方が、住み慣れた家で家族に囲まれて
最期を迎えることができることを祈っています。
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気持ちが焦りますが、そこは雨でちょっと落ち着いてみる。
そんな中。
私は映画が好きで特に単館系の映画に興味があるので
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していて新作映画の告知が届きます。
単館系としては、シネテリエ天神やテアトル西新も
まるで最近行ったように思い出されるのですが、
もう遠い遠い想い出です。
そして、今回ちょっと気になった映画が今日から上映
されています。
映画「あなたのおみとり」
介護の話題も気になるけれど、在宅看取りという題材も
とても気になり、見に行こうかな、と思って予告編を
見てみたのですが。
とてもほっこりとして、
「なんか、私のとは随分違う!」
と思ってしまいまして笑
自分も一通り、父の最後を家で看取ったので
そこと違和感があって、まだどうしようかな、なのです。
私は父が大腸がんで半年の余命宣告を受けた頃、
実家には滅多に帰らず一人暮らしが長い中、
賃貸アパートで気ままな一人暮らしをしていました。
そこで母から電話があり、父の余命が半年と言われ、
その時の荷物をほとんど捨てて、
両親が住んでいた(けれど自分は住んだことがない)家に
移り住み、父の通院を手伝い、
やがて一軒家の手入れも難しいことから、両親が賃貸で
住んでいた家から集合住宅へ引っ越し、
入退院を繰り返す父の送迎、やがては入院していた父を
家に連れ帰り、最後のひと月を自宅で看取りました。
映画のようにほっこりしたものではなく、
鎮痛剤のせん妄でまったくの別人になり
家族を認識できなくなった父が
何故か裸にバスタオルを巻いて、
どこぞの民族の酋長のように歩くようになり、
夜には携帯電話をナースコールのように使って
私を呼び、
或る夜には「お客さんが待っているから行かねば」と
外に出ていこうとする父と格闘し
つかみ合いをしたり。
自宅で自営業だったのだけど、ちょっとだけ、
ほんのちょっとだけ仕入れに行かせてくれ、と
自宅を出てやっと佐賀に着いた頃に
訪問医から電話が入り
「お母さんが困っているから帰宅してください」と
言われ泣く泣く帰ったり。
母ももちろん同居していたけれど、母は父にずっと
冷たくあたっていた罪悪感なのか、
父が母に接しようとすると
「殴られる!」と(たぶん)思い込んでしまったようで
父がアクションを起こすたびに私に頼ったり
訪問医に電話したり。
「私は苦労掛けられたから絶対に介護はしません」と
宣言していて、そもそも人の看病をしたり、
下の世話など絶対にしない人なので、
何一つ介護することなく、
私がワンオペで看取りをしました。
病院に呼ばれて清拭の練習をしたり、
訪問看護のナースに車椅子の動かし方を習ったり、
おむつの付け方、ベッド上での洗髪の仕方、
いろいろと習ったのが、のちに仕事となった訳で
あの頃に教わったことは本当に今でも
役に立っています。
父の嚥下が悪くなった頃に
「とろみを使いましょう」と言われて
とろみ?って思ったのもとても良く覚えています。
最期の頃に呼吸器が運び込まれた時に
業者の方に初めてパルスオキシメーターの使い方を
習ったのもちゃんと覚えています。
今振り返ると楽しかったこと、後に仕事として
役になったことなど思い出しますが
夜に全く眠れなかったり、
いろんな連絡ごとから逃れられず、早朝に近くの河原に
座って泣いていたり、
訪看さんが来たら泣き崩れて、毎回ハグしてもらって
もう限界だから、これ以上は危険だからと
父の入院を勧められたり、よく思い出せば
壮絶な「わたしのおみとり」でした。
予告編で出てくる訪問入浴も一度使いました。
マンションの階下のお宅に音がするからと
お詫びに行ったり、
実際浴槽が運び込まれていざ入浴となったら
父が全力で拒否してベッドにしがみついて
地獄だったり、結構な熱発だったけど
ナースの判断で入浴可能と言われちょっと驚いたり、
まーあ、いろんな経験をしました。
映画のようにきれいじゃないけど、
きれいだから映画になったのであって、
もしも私がカメラを回したら、
なんだか特殊な映画になっただろうなと思います。
それでも、私を娘と認識してない父に
「最後に逢いたい人はいますか?」とアセスメントして
弟に逢いたいというので首都圏に住む父の弟に電話をして
受話器を渡した時、
科目で頑丈な父が涙を流すのを初めて見ました。
いろんな想い出があります。
ドクターストップが掛かった程に辛かった部分もありましたが
私は在宅看取りして良かったと思っていますし、
あの時に戻れたら、間違いなく同じ選択をします。
当時はまだ珍しかった在宅看取りですが
最近は割と増えてきているようだし、
検討している方も多いと思います。
そういう方にはいい映画なんじゃないかな。
私は母も家で看取りたいのだけど、
仕事を辞めるには自分は年を取ったし、
呼吸器疾患での看取りはとにかく苦しいと聞くので
家にいると母が不安だろうとも思うので
入院の話を進めていますが、
人が死に際しどういう姿になるのかを知るのは
生きる上での大きな力となると思うのです。
私達が生まれてから目標とすること、
仕事での成功や充実、結婚や子育て、
いろいろありますが、その軸となるのは
「生きて死ぬこと」
死を意識することは、よりよく生きることに
繋がると信じています。
どこかで殺され解体された肉を食べ、
死にそうな家族は隔離されたところで弱り
生を終え、私達は死に直面する機会が無くなりました。
でも、死を意識し死に際を目に焼き付け
自分の生を大きく燃やすことって
人生のいろんな経験の中でも
とても素晴らしいことじゃないかなって思うのです。
儚いからこそ命は尊い。
老人ホームで亡くなっていった方の最期も
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