
Photo by BYOU
最近、ある言葉を思い出すことがあります。
「巨悪あり 法これを裁けず」
安倍元首相銃撃事件の山上哲也被告が語ったとされる言葉です。
私はこの言葉の是非を語りたいわけではありません。
ただ、この言葉を目にするたびに、「個人の力ではどうにもならないもの」を考えてしまうのです。
以前から、このブログでも政治や行政のことを書いてきました。
最近は国政だけでなく、市政や県政でも信じられないようなニュースが続き、正直なところ疲れてしまいました。
もちろん、声を上げることは大切です。
報道機関も以前より問題を取り上げるようになりましたし、自分が賛同できる活動があれば参加したいとも思っています。
それでも一方で、私には昔から変わらない信条があります。
「変えられないものは、無理に変えようとしない。」
もちろん、諦めとは少し違います。
自分にできることはやる。
でも、自分一人ではどうにもできないことに人生のすべてを費やしてしまうのも違うと思うようになりました。
私は来年、還暦を迎えます。
健康も考えると生きてもあと10年。
その貴重な時間を、怒りだけで終わらせたくはありません。
私は若い頃から、この国の将来や社会のあり方に漠然とした不安を感じていました。
子どもを持たなかった理由も、一つではありませんが、その思いと無関係ではありません。
離婚したときも、その考えに迷いはありませんでした。
だから今は、「世の中を変えること」よりも、
「この時代をどう生きるか」
を考えるようになりました。
頑張れば報われる。
そんな時代ではなくなったと感じることがあります。
以前の記事にも、「もう手遅れだと思う」というコメントをいただきました。
その気持ちも、よく分かります。
でも私は、絶望だけを見て生きることはしたくありません。
一度絶望を受け止めたからこそ、その先にある小さな希望を見つけたい。
仕事をすること。
写真を撮ること。
映画を見ること。
文章を書くこと。
母に会いに行くこと。
そんな日常を大切に積み重ねながら、自分にできる範囲で誠実に生きていきたいと思っています。
絶望から見上げる世界は美しい。
世界は、一人では変えられません。
だからといって、何も考えずに生きることもしたくありません。
変えられることには誠実に向き合い、変えられないこととは静かに折り合いをつける。
最近は、それも一つの強さなのではないかと思うようになりました。
怒りに人生を支配されるのではなく、自分の時間を、
分の大切なもののために使っていきたい。
それが今の私の、小さな希望です。
そして、それもまた── 私という途中経過。
ランキングに参加しています。
よろしければバナーをクリックいただけると嬉しいです。
コメント