老人ホームで働いているびょうです。
父の命日に当たり、
去年くらいまでは辛くて見ることができなかった当時の日記を
振り返ってみました。
忘れていることが多いですねえ。
今はひたすら美化してしまっていますが、
当時はノイローゼ一歩手前で、ドクターストップがかかるほど、
私は疲弊していました。
今、そういう方々をお預かりする職業に就いたので、
こうして家族の側の気持ちを再度実感することができたのは
良かったと思います。
当時、教員をしている友人が、
今の気持ちを残しておくといいよ、と教えてくれたので、
大まかな気持ちはネットの日記、
細かい手続きやどろどろした気持ちはアナログの日記に、
残してあります。
せっかくなので、当時の私の気持ちを、
こちらのブログに転記してみます。
自分で言うのもなんですが、
忘れていたことが多いので、
まるで人のブログを読んでいるようです(笑)
ここから、引用。
------------------------------------------------------------------
2013年の日記 父を病院から家に引き取った日
先日父が救急搬送されたのは、
大腸がんの腫瘍が大きくなり膀胱や尿管を圧迫して
炎症をおこして熱を出しだそうで、その後、
排尿時に猛烈な痛みを訴え、コントロール不能で紙おむつと尿瓶の生活になり、
寝たきりになり、気力もなくなってました。
もしかしたらがん細胞が膀胱を食い破っているかもしれないとの見立て。
でも父の一番嫌だったのは、新しくなった病棟の看護師の質が落ちて点滴がまともに
できない人ばかりになってたこと。腫瘍の痛みもだけど、点滴の痛みが凄かったの。
初日は腕が足のように腫れあがり包帯でぐるぐる巻きにされてて。
もう家で見送るかホスピスで見送るか、
どちらかを選べと追い立てられるんだけど、
病院と訪問看護や緩和ケア病院との連携を図ってくれない。
ただひたすら、いつ出て行くかと聞かれるばかりで、
姉とキレて、家に連れて帰ることに。
でもケアマネさんが良い方で2日で介護ベッドから何から準備くださって、
今朝お迎え。
でもでも、ケアマネさんが介護タクシーを手配くださったけど、
本当は病院が手配するものなんだって。○○大学病院はちょっと変だ。
今朝、来てくれた介護タクシーのお兄さんはとってもオシャレなお兄さん。
元々大企業の営業で飛び回ってた方が鹿児島のお父様の介護のために早期退職し、
介護の資格をとり、介護職へ。
その後介護タクシーを個人で立ち上げたそう。
で、評判が評判を呼び、予約が殺到。
断るのは申し訳ないので最近1台増やして人を雇ったそうだ。
お父様の介護から始まってるだけあって、
もう、サービスがきめ細かく、姉も父も感動だったらしい。
で、父は家に帰ると、杖突いて歩き出しましたとさ。
自分でトイレに行くというので付き添って、夕方には一人で行くように。
もうびっくり!
食事はもう終末期だから好きなものを好きなだけ、
なので、モスのフライドポテトと照り焼きチキンバーガーを買っていたけど、
少しずつ食べてた。
で、介護ベッドと車椅子をいじり倒し、テレビを見て幸せを噛み締め、
今までは「うん」「いや」しか喋らなかったのに、
私を捕まえてはひたすら語り、 冗談を言って笑ってる。
私にだけ。
なので、今日は粥を作って一緒に介護ベッドで食べた。
すごく食べて、私の卵豆腐を取って食べていた。
嬉しくてたまらなかったらしい。
訪問の看護師さんも声が永作博美みたいな素敵な方で、
とにかく手際がいい。
実は大学病院から点滴を2個持たされていたんだけど、
大学病院も訪問看護も点滴を吊るすゴロゴロを持ってなくて。
そしたら、かかっていた針金ハンガーを使って吊るすものを作ってくれたので、
私の仕事用の洋服ラックを使って点滴してくれた。
慌てず騒がずさも当たり前のように。
訪問件数が多いのでロスは出せないんだろう。
私、初めてかもしれない。
カッコいい、素敵だと思った人。
福大病院でしてくれた点滴針の処置は間違っていたのでさっさと変えてくれ、
点滴の痛みの緩和の仕方も教えてくれた。
大活躍のケアマネさんは、離婚して子どもと母親の三人暮らし。
旦那さんの暴力が原因だったらしい。元は銀行員さん。
人の痛みがわかるから必死に仕事している。過労死しないか心配だ。
明日も本当はオフなのに父の顔を見たいからと家に来てくれる。
その間、家の電灯をリモコン型に変えたり、とにかく忙しかったー!
さっきやっと落ち着いて、今から仕事。就寝は父の隣の部屋に変更だ。
つづく
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父の命日に当たり、
去年くらいまでは辛くて見ることができなかった当時の日記を
振り返ってみました。
忘れていることが多いですねえ。
今はひたすら美化してしまっていますが、
当時はノイローゼ一歩手前で、ドクターストップがかかるほど、
私は疲弊していました。
今、そういう方々をお預かりする職業に就いたので、
こうして家族の側の気持ちを再度実感することができたのは
良かったと思います。
当時、教員をしている友人が、
今の気持ちを残しておくといいよ、と教えてくれたので、
大まかな気持ちはネットの日記、
細かい手続きやどろどろした気持ちはアナログの日記に、
残してあります。
せっかくなので、当時の私の気持ちを、
こちらのブログに転記してみます。
自分で言うのもなんですが、
忘れていたことが多いので、
まるで人のブログを読んでいるようです(笑)
ここから、引用。
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2013年の日記 父を病院から家に引き取った日
先日父が救急搬送されたのは、
大腸がんの腫瘍が大きくなり膀胱や尿管を圧迫して
炎症をおこして熱を出しだそうで、その後、
排尿時に猛烈な痛みを訴え、コントロール不能で紙おむつと尿瓶の生活になり、
寝たきりになり、気力もなくなってました。
もしかしたらがん細胞が膀胱を食い破っているかもしれないとの見立て。
でも父の一番嫌だったのは、新しくなった病棟の看護師の質が落ちて点滴がまともに
できない人ばかりになってたこと。腫瘍の痛みもだけど、点滴の痛みが凄かったの。
初日は腕が足のように腫れあがり包帯でぐるぐる巻きにされてて。
もう家で見送るかホスピスで見送るか、
どちらかを選べと追い立てられるんだけど、
病院と訪問看護や緩和ケア病院との連携を図ってくれない。
ただひたすら、いつ出て行くかと聞かれるばかりで、
姉とキレて、家に連れて帰ることに。
でもケアマネさんが良い方で2日で介護ベッドから何から準備くださって、
今朝お迎え。
でもでも、ケアマネさんが介護タクシーを手配くださったけど、
本当は病院が手配するものなんだって。○○大学病院はちょっと変だ。
今朝、来てくれた介護タクシーのお兄さんはとってもオシャレなお兄さん。
元々大企業の営業で飛び回ってた方が鹿児島のお父様の介護のために早期退職し、
介護の資格をとり、介護職へ。
その後介護タクシーを個人で立ち上げたそう。
で、評判が評判を呼び、予約が殺到。
断るのは申し訳ないので最近1台増やして人を雇ったそうだ。
お父様の介護から始まってるだけあって、
もう、サービスがきめ細かく、姉も父も感動だったらしい。
で、父は家に帰ると、杖突いて歩き出しましたとさ。
自分でトイレに行くというので付き添って、夕方には一人で行くように。
もうびっくり!
食事はもう終末期だから好きなものを好きなだけ、
なので、モスのフライドポテトと照り焼きチキンバーガーを買っていたけど、
少しずつ食べてた。
で、介護ベッドと車椅子をいじり倒し、テレビを見て幸せを噛み締め、
今までは「うん」「いや」しか喋らなかったのに、
私を捕まえてはひたすら語り、 冗談を言って笑ってる。
私にだけ。
なので、今日は粥を作って一緒に介護ベッドで食べた。
すごく食べて、私の卵豆腐を取って食べていた。
嬉しくてたまらなかったらしい。
訪問の看護師さんも声が永作博美みたいな素敵な方で、
とにかく手際がいい。
実は大学病院から点滴を2個持たされていたんだけど、
大学病院も訪問看護も点滴を吊るすゴロゴロを持ってなくて。
そしたら、かかっていた針金ハンガーを使って吊るすものを作ってくれたので、
私の仕事用の洋服ラックを使って点滴してくれた。
慌てず騒がずさも当たり前のように。
訪問件数が多いのでロスは出せないんだろう。
私、初めてかもしれない。
カッコいい、素敵だと思った人。
福大病院でしてくれた点滴針の処置は間違っていたのでさっさと変えてくれ、
点滴の痛みの緩和の仕方も教えてくれた。
大活躍のケアマネさんは、離婚して子どもと母親の三人暮らし。
旦那さんの暴力が原因だったらしい。元は銀行員さん。
人の痛みがわかるから必死に仕事している。過労死しないか心配だ。
明日も本当はオフなのに父の顔を見たいからと家に来てくれる。
その間、家の電灯をリモコン型に変えたり、とにかく忙しかったー!
さっきやっと落ち着いて、今から仕事。就寝は父の隣の部屋に変更だ。
つづく
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