老人ホームで働いているびょうです。

私は自分で言うのもなんですが、

職場である介護施設で利用者さんに結構人気があります。

それはたぶん、

相手が認知症の高齢者だと思わずに、

普通の人間どうしの付き合いとして話しているからだと思います。

その中でも、以前は鬱の傾向があって暗い顔ばかりしていた女性が、

「あんたの顔を見ると元気が出る」と言ってくれて、

とても明るくなったのがとても嬉しいです。

その女性は私のことを心配して、

「結婚して子供を産まないのは不幸だから、

早く結婚して子供を産みなさい」

と言うのです。

もう結構認知症が進んでいる方なので、

別にまともにうて合う必要はないのですが、

どうしても、そういう話は心にぐさっと刺さってしまいます。

それを察して、同僚が、

「そんなこと言わないのよ」

「人には事情があるから」

「それだけが幸せじゃないんだから」と諭してくれます。

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こんな認知症で自分のことも忘れている人でも、

そういう価値観は忘れない。

しかも、その人は、

自分が産んで育てた娘が高校生の時に家出して

何十年も経って男を連れて戻ってきたのはいいけれど

その婿からの想像を絶する暴力から逃げ惑う生活をしていました。

それでも、

子供を持つことは女性の幸せと言う。

不思議なものです。


私もわかっているのです。

それはとても素晴らしい行為で、

女性として生まれたからには

経験しておかないと勿体無いということは。


世の中、歴代の首相やら大臣やらが、

産むのが当たり前で産まないのは不具、

産む機械であるとかいろいろ言ってきました。

確かに、生物には種の保存は義務。

産まない女は女にあらず、

昔なら、産まない女は石女(うまずめ)と呼ばれて、

離縁されても文句が言えなかったのです。


もう、生物として産むことができない年齢になった女性で、

産まなかった人生を悔いる人は多いと思います。

特に、40-50代になると、

SNSでは、やれ卒業だ、成人式だ、孫だなんだとアップが増えて、

子供関連となると、誰もが諸手を挙げて大騒ぎ。

感動とイイネの嵐です。

そんな中で、おひとりさまの気ままな独身生活のアップなんか

とてもアップできたもんじゃありません。


産まなかった自分は自己中心的なのか

産まなかった自分は愚か者なのか

産まなかった自分は不具なのか

産まなかった自分は女として不幸せなのか

産まなかった自分は生まれてきた意味がないのか


なんか切なさと悔しさと後ろめたさ、

いろんな感情が

湧き上がって溢れてくることはありませんか?


私は最近、そういう気持ちから離脱することができたんです。


それは…

例え、仕事が結婚や子育てよりも魅力的だったとしても、

例え、子供が苦手だったとしても、

例え、出産が痛くて絶対嫌だと思っていたにしても、


ああ、この人の子供が産みたい!

と思わせてくれる相手と出会わなかったんだもん。

そう思わせなかった過去の男が悪い。

それだけです。

そういう出会いをくれなかった神さまが悪い。

例え無神論者でも。

そういう相手に会わなかったから産む機会を持てなかっただけ。

もしもそういう気持ちがないまま、

義務感で結婚したり子供を作ったとしても、

絶対、と言える確率で、

不幸になっていたり、

生きながら地獄を味わったはずです。



なんのかんの言って、

人生とか生き方とかに正解はないし、

間違いなんてのもないんです。

ただ、みんながみんな、独身万歳!となると、

人類は死に絶えてしまいますから、

若い世代にはもっともっと産んでいただいて、

私達の年金生活を支えていただきましょう。


50を過ぎると、どんなに悔やんでももう産めませんから

過ぎたことは忘れて、独身人生を謳歌するだけです。

来世は素敵な男性と出会えますように。


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